面白道具の油蔵     

アブラグラで「あったらいいな」という中古の茶道具・塗り絵・画材・骨董とかバービー・和小物をリーズナブルに!

*

意外と知らないバービー人形<ふるさとはニッポン!>のウンチク

      2017/10/09

アラちゃん
懐かしいっ!これでもかバービーっていますよね?

プレミアム・バービーが倉庫から発掘!
というと大げさですが、60年代は超レア・70年代80年代90年代のバービー人形はとても
ファッショナブル。お顔も実は年々変化していてバービーコレクターの記事では
写真付きで「整形疑惑?」なんてセンセーショナルなタイトルもついていたりします。

バービー人形の歴史をたどると意外なことがたくさんあります。

最初のバービー人形は1959年3月にアメリカマテル社から発売されました。
マテル社の共同創業者一人であるポーランド系ユダヤ人のルース・ハンドラーが家族で
ヨーロッパを旅行中スイスを訪れた際目に留まったセクシードール、リリ<Lilli>を
娘のバーバラへのお土産に買ったことがバービー人形のエッセンスになっているんですね。
そういうわけで、バービー人形は極端なセクシーで完璧なプロポーションを持っているの!

マテル社は1945年に額縁メーカーとして出発して1950年代に玩具製造業へ進出しました。
新たな女児用人形を考案中だったルース・ハンドラーはお土産に買ったリリに注目し構想を
固めるとジャック・ライアンやデザイナーのフランク中村を人件費が安くって町工場が
たくさんある東京に派遣し(株)国際貿易と製造に向けて交渉を行いました。

アラちゃん
東京って?日本って事よね?

(株)国際貿易との契約は成立したのですが、マテル社の広範に渡る厳しい要求から
国際貿易は複数の製造メーカーとの協力を決め試作に入りました。
マテル社の高度な製品精度要求には製造工程や量産技術に改良と研究余地が多く
量産きるるようになるまではとっても難航したようです。

アラちゃん
東京生まれってことですか?

そう、驚くことに初期のバービーは日本で製造されているんですね!
1950年代は、日本はアメリカに比べダントツに人件費が安く、その上繊維産業が盛んで
あったため人形本体と衣装とをまとめて発注できるという理由からアジアの新興都市
<東京>が注目されたんですね。
そして白羽の矢が立ったのは玩具問屋と小売を営む(株)国際貿易で、シビアな交渉を経て
バービー人形の日本生産が決まったのでした。
(株)国際貿易は取引先でもある着せ替え人形製造の中心をになう企業の山一商店・
中嶋製作所・セキグチなどに依頼してマテル社の高度な要求に応えてのバービーの生産が
始まったの。そういうワケで初期のバービーはMade in Japan!なんです。

「巧みの技」の特集になるような過程を経て、本国アメリカで1959年3月9日に
発売開始しました。アメリカで売られていた着せ替え人形が 2ドル台だった中で、
『安かろう悪かろう』と言われていた日本製の人形に3ドルという1.5倍もの
高価格を付けて販売したため今ならTwitter炎上ぐらいの
センセーショナルなデビューを果たしました。

アラちゃん
へぇーっなるほどねぇ!

おもちゃ業界からは否定的な目で見られていましたが、ファッショナブルで精巧な
着せ替え人形は子供たちに支持され、結果的には爆発的に売れたのでした。
アメリカ国内の売り上げによってバービー人形の元となったリリはブーム退潮で
製造を打ち切り休眠中だったのでパテントを含めた権利を1964年に買収して、
ヨーロッパ市場の販売を強化しました。

1967年には、腰をひねることができる「ツイスト・バービー」にモデルチェンジして
着せ替えだけではなくポーズを取れるように改良もしました。
残念ながら1970年代以降は東南アジアのインドネシア、1980年末期から中国での生産へと
シフトしています。

1950・60年代の日本の人件費が安かった時代が終わり、日本においてはリカちゃんに押され
販売不振から撤退を余儀なくされてしまったんですね。

アラちゃん
うーん、そうだったのですか?

1980年代半ば以降はバービーの大人のコレクター向けの商品が発売されるようになりました。
1999年、ピクサー社のフルCGアニメーション『トイ・ストーリー2』にバービー人形が登場し
次作である2010年の『トイ・ストーリー3』にはケンも登場して再び出演をしています。
そしてそれに続くスピンオフ作品『ハワイアン・バケーション』ではバービーとケンが
W主演を果たしました。これらのピクサー作品における声優はバービー役は、英語版が
ジョディ・ベンソン、日本語吹き替え版が高橋理恵子。
ケン役は、英語版がマイケル・キートン、日本語吹き替え版が東地宏樹でした。

現在までの全世界でのバービー人形の販売数は10億体を超えるといわれています。

アラちゃん
10億体!世界人口の1/5弱!

日本でマテル社のバービーは、1962年に(株)国際貿易から販売を開始して
<新しいアメリカのおともだち>と紹介され1800円から12500円で販売されました。
高価な着せ替え人形ということで当初は販売不振が続きました。
が、東京オリンピックが開催された1964年頃には日本の賃金水準改善されて
徐々に売り上げは向上し、さらにはお化粧や髪の色、衣装のデザインを
日本人好みのものに変えるといった努力が続けられていきました。

1966年の『ビートルズ旋風』に乗って売れ行きをのばしましたが、翌1967年の
リカちゃん人形の発売によって打撃を受け、日本市場から撤退することに。

アラちゃん
リカちゃん派とバービーちゃん派ってありましたよね?

バブル期の1980年頃タカラとマテル社は提携しバービーの輸入代行販売を開始しました!
ということでタカラは一時、リカちゃん+バービーという日本の着せ替え人形の
代名詞とも言える人形を両方とも販売していたことになるんですね。
1982年、八頭身で胸やお尻が大きい体型で小顔なバービーと日本のリカちゃんから発展した
ヘッド部分の<頭と顔>に同じくからタカラの既存品ボディをミックスし、
オリジナルのマテル社バービーからキャラクター設定とキャッチコピーを転用して
通称タカラ・バービーが発売されました。ちょっとフランケンなんですね!

少女漫画ヒロインやTVアニメーション番組のキャラクターのような大きいアイプリントと
前髪が切りそろえられたおかっぱの和風の特徴を持つ1,000円から2,500円程度の
手頃な価格のタカラ・バービーが発売されました。

タカラ・バービーはあっという間に人気者になり、山本寛斎デザインのカンサイ・バービー
や企業タイアップでシルバー・ミンクの本物の毛皮をを使用したコートを纏う製品まで
登場しました。1985年には月別販売実績でリカちゃんを抜いて好調だったのですが
1986年にマテル社との提携を解消、ハネムーンが終わってしまったのですね・・・その後
バービーはタカラ・ジェニーとして販売されることになったってご存知でしたか?

アラちゃん
バービーちゃんはジェニーちゃんになっちゃったのですね!

タカラとの提携解消したマテル社はバンダイとの合弁会社 マーバコーポレーションを設立!
バービーの他には バンダイのメガドライブ用ゲームソフトの発売元で、そこからバービーが
発売されました。米国版バービーではな日本限定の通称マーババービーとして発売されたのですが、
タカラが発売中の<ジェニー>とかつての<タカラ・バービー>と顔立ちが酷似し
日本版バービーとジェニーを開発したいきさつや理由、タカラと縁を切ってバンダイと
組んでの立ち回りをタカラから提訴されちゃったんです。
そんなこんなで1989年に販売不振から一度生産を打ち切り、
マーババービーのフレンドドール、ソフィーのヘッドを流用しアイプリントを変更して
販売を続けましたが1991年にはついに販売終了することになってしまいました。

バンダイは漫画やアニメーションTV番組とのタイアップでドール製品製造の実績はあるものの、
着せ替え人形製品はタカラより劣り、マーババービーは素材の耐久劣化からなんと首接続部位
が脱落するという重大な欠陥があったのです。首が取れちゃうって事みたいですね!

当店アブラグラではこの珍しい「バンダイ・バービー>も取り扱っています。
でも20年も30年も劣化しない素材なんてありえませんよね?

1991年以降マテル社とバンダイの提携に移行し日本独自のバービーはなくなり
セットパッケージ、衣装など関連商品で日本限定商品が販売されていましたたが
2003年末をもってバンダイとの業務提携も解消しました。

現在は、マテル社の日本法人マテル・インターナショナルから悲しいことに細々と
バービーが販売されています。こんな言い方してごめんなさい。

私的コレクションとしては何体かもっていますが、別に特に劣化は感じません。
ビニールのバッグが開かない、ってことはエナメルのシャネルのバッグでも起こりえる変化。
このスパイスガールズ MEL・Bは自分の小さな約2cm弱のフィギュアを持って登場!
角つけてハロウィンか?なんですがバービー人形って時代背景テンコ盛りですから。
こちらは思い入れがあって非売品です。密かにカッコいいと思っていたモデルですので。

 - バービー人形・キャラクター商品 , ,